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江戸町奉行の真実|正義の味方どころか命を削る激務だった

📌 目次 はじめに 町奉行の役割と地位 北町・南町奉行と月番制 幅広すぎる職務範囲 激務ゆえの高い死亡率 奉行所の組織構造 扱った訴訟と事件の実態 町奉行の一日 まとめ おわりに はじめに こんにちは、Burdonです。 時代劇では町奉行といえば「大岡越前」や「遠山の金さん」のように颯爽と現れて悪を裁く正義の味方。しかし、実際の江戸町奉行は華やかさとは裏腹に 命を削る超激務 でした。 この記事では、町奉行の実際の職務、組織構造、日常業務の過酷さを掘り下げて紹介します。 町奉行の役割と地位 町奉行は江戸幕府において行政・司法・警察・消防を一手に担う要職で、自社奉行・勘定奉行と並ぶ「三奉行」の一角でした。 身分は旗本クラスですが、能力重視の任命も多く、俸禄(役高)は3000石相当。足高制度により不足分が補われました。 北町・南町奉行と月番制 町奉行は北町と南町の二名体制。ただし地理的に分担するのではなく、 月番制 で一ヶ月ごとに新規案件の受付(表門を開く)と審理(表門を閉じる)を交代しました。 互いを監視し権力集中を防ぐ仕組みでもありました。 幅広すぎる職務範囲 現代で例えるなら 東京都知事+警視総監+消防総監+最高裁長官 を兼任するような存在。治安維持、裁判、都市インフラ管理、物価統制、福祉施設の監督まで担いました。 激務ゆえの高い死亡率 歴代町奉行のうち18.9%が在任中に死亡。他の奉行職に比べても突出して高く、半数近くが就任から数年以内に亡くなっています。 過労死に近い事例も多く、平均在職期間はわずか5〜6年でした。 奉行所の組織構造 奉行の下には「与力」(補佐役)と「同心」(実務担当)が配置され...