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多様性の名を借りた排他とメディアの低年齢化演出

📌 目次 はじめに 玉川徹氏の発言とその矛盾 「核兵器が割安」発言排除の問題 多様性と経済合理性の両立 メディアの低年齢化演出とその弊害 中学生記者を持ち上げる構造 職業価値の切り下げ 原発論争の歴史的経緯 平和と現実的安全保障 まとめ おわりに はじめに こんにちは、Burdonです。 先日、広島原爆の日に合わせて報道されたある発言が、思わぬ炎上を引き起こしました。表向きは 「多様性の尊重」 という美しい言葉ですが、その内実は異論を封じるための武器になっていた――そんな現実を、今回は掘り下げます。 玉川徹氏の発言とその矛盾 広島平和記念式典での小学生スピーチを受け、玉川徹氏は「核兵器が割安だと言う人はこの子たちの前で同じことを言えるのか」と語りました。一見もっともらしく聞こえるこの言葉に、私は違和感を覚えます。 「核兵器が割安」発言排除の問題 経済合理性の観点から核抑止を語る立場も、多様性の一部であるはずです。それを「この子たちの前で言えるのか」という情緒的圧力で封じるのは、多様性の名を借りた排他です。 多様性と経済合理性の両立 真の多様性とは、自分と異なる意見も包摂すること。平和を願う心情と、現実的な安全保障や経済合理性は対立するものではなく、両輪として議論すべきです。 メディアの低年齢化演出とその弊害 近年、旧来型メディアが小学生や中学生を表舞台に立たせ、政治的メッセージを代弁させる手法が増えています。その裏には、単なる話題作り以上の意図が見え隠れします。 中学生記者を持ち上げる構造 読売新聞が紹介した14歳の中学生記者は、脱原発を掲げ、政治的発言も行...