オールドメディアの終焉?参政党記者排除騒動から考える政治と報道のリアル
はじめに
こんにちは、Burdonです。
今回は、いま話題になっている参政党の記者会見排除騒動について、自分なりの視点で深掘りしていきます。「オールドメディアの終焉」や「記者と政治の癒着」など、普段から感じてきた問題意識と体験談も交えて解説します。
報道や政治に関心のある方はもちろん、「なぜ今これほどまでにSNSが力を持ち始めたのか?」と疑問を感じている方にも読んでいただきたい内容です。
記者排除騒動とその背景
オールドメディア vs 政治勢力の対立
今回の主役は、神奈川新聞の石橋学記者、東京新聞の望月衣塑子記者、そして参政党です。
8月1日、臨時国会初日に行われた参政党の会見では、これまで排除されてきた2人の記者が久々に会見に出席しました。
この件は単なる一記者の出入り問題に留まらず、「報道の自由」や「メディアと政治の関係」という、現代日本が抱える本質的なテーマを浮き彫りにしています。
記者が排除された理由とは
石橋学氏と望月衣塑子氏が会見から排除されたのは、「取材」を超えた行動があったからだとされています。参政党側の主張によれば、選挙活動の場で明らかな妨害や、極端なまでにカメラを近づける“嫌がらせ”行為があったとのこと。
私自身もSNS上で当該記者の動向を目にしたことがありますが、報道と活動家の境目があいまいになりつつあると感じます。「記者」としての立場であるはずが、特定のイデオロギーや政党に寄り添う姿勢が目立ち、結果として中立性が揺らいでいるのです。
もちろん、こうした“排除”に対し一部メディアは「報道の自由への侵害」と反論しています。しかし、記者自身の取材マナーや立ち居振る舞いもまた厳しく問われるべき時代に入ったと、私は考えています。
マスメディア報道の問題点
報道の中立性と政治的バイアス
日本のマスメディア(特にいわゆるリベラル系紙)は、報道の中立性という建前を守りながらも、実際は特定政党や政治思想への傾斜が明白です。
今回の件でも、会見排除の理由や経緯を「有料記事」でぼかし、ネットでは無料で出回っている事実を囲い込む姿勢が目立ちます。
しかも、一部の記者と政党・有力政治家の“親密な人間関係”まで指摘されている現状。
報道の自由を主張するなら、まず自らのバイアスと利害関係をオープンにする姿勢が必要なのではないかと感じています。
記者による“嫌がらせ取材”の実態
石橋学氏や望月衣塑子氏の「突撃取材」は、本人たちにとっては“社会正義”なのでしょう。しかし現場の候補者や有権者から見れば、カメラを至近距離まで突きつけられたり、執拗な追及を受けること自体がハラスメントです。
昔なら「権力監視」の美名で許されてきた手法も、今や有権者の多くがSNSを通じて“裏側”を簡単に目撃できる時代。私も現場のライブ映像や切り抜き投稿で、「記者の側が暴走している」という印象を抱くことが増えました。
自分たちが取材できなくなったら「排除だ!」と騒ぎ、自分が嫌うメディアは同じように締め出す。そんなダブルスタンダードが、今のオールドメディアには根深く残っています。
SNS時代の新しい情報流通
政治家が直接語る時代へ
ここ10年で大きく変わったのが「情報の発信者=政治家や政党自身」という現象です。テレビや新聞を経由しなくても、YouTubeやX(旧Twitter)で自分の言葉をそのまま届けることができます。
有権者がスマートフォンさえあれば、現場の空気や発言をそのまま受け取れる。その結果、オールドメディアの“編集バイアス”や“切り取り”手法は、もはや通用しなくなりつつあります。
私自身も、もっぱらSNSと公式チャンネルで情報を集めるようになってから、既存メディアへの不信感がどんどん強まりました。これは多くの人に共通する実感ではないでしょうか。
オールドメディアは本当に必要か
新聞やテレビが情報の“独占的ゲートキーパー”でいられた時代は終わりました。今や「報道してやらないぞ」と脅しても何の意味もありません。それどころか、実際の現場にいた市民の証言や動画が即座に拡散し、都合の悪い事実も一瞬で“可視化”されます。
政治家や政党にとって、旧メディアに媚びる理由はもはや消えつつあると私は思います。
民主主義のために本当に必要なのは、情報の多元化と「受け手側のリテラシー」です。
旧メディアの関係者こそ、この「時代の変化」と正面から向き合うべきではないでしょうか。
まとめ
- 報道の自由と中立性を主張するならば、まず記者自身の行動規範や利害関係を開示する必要がある
- オールドメディアの情報独占時代は終わり、SNSによる現場の“生情報”が新時代のスタンダード
- 記者による“嫌がらせ取材”やダブルスタンダードは、今や誰の目にも明らかになっている
- 政治家や政党は自ら情報発信できるため、既存メディアに依存する必要がなくなった
- 今後の民主主義に必要なのは「多元的な情報」と「市民自身のリテラシー」
おわりに
今回の記者排除騒動を通じて、私自身が改めて感じたのは「変わらなければいけないのは、いつも私たち自身の受け取り方」だということです。
これからの時代、本当に価値ある情報とは何か、どんな発信者を信じるべきか。その判断力を一人ひとりが持つことが問われています。
最後までお読みいただきありがとうございました。